仕事に疲れた、と感じたとき。
ふと、こんなことを考えました。
自分は、本当は何にこんなに疲れていたんだろう。
仕事の量が多かったからだろうか。
プレゼンがあったからだろうか。
環境が合わなかったからだろうか。
でも、よく考えてみると、
本当に疲れていたのは「量」ではなかった気がします。
完璧でいなければならないと思っていた
完璧でないといけないと思っていました。
70%では出せない、と。
たとえば、
- 資料を提出する前に、何度も言い回しを直してしまう
- もう十分だと分かっているのに、送信ボタンを押せない
- 会議の前日、必要以上に想定問答を考えてしまう
それでも大きな問題は起きないはずなのに、
どこかで「まだ足りない」と感じてしまう。
失敗したら、「できないやつ」だと思われる気がしていました。
たぶん、怖かったんだと思います。
能力がないと思われることが。
特に、内向的な気質のある自分にとっては、
人からどう見られているかを想像しすぎてしまうところがありました。
でももっと正確に言うなら、
「居場所を失うこと」が怖かったのかもしれません。
居場所を守ろうとする緊張
振り返ると、人の目を強く意識し始めたのは高校生の頃でした。
仲間の中での立ち位置。
浮かないこと。
特別に悪目立ちしないこと。
あの頃から、
「ちゃんとしていないと、居場所がなくなるかもしれない」
そんな緊張を持っていた気がします。
その感覚は、大人になっても消えていませんでした。
内向型という言葉を知ったとき、
「考えすぎてしまう自分」を少し客観視できた気がしました。
休職を経験して気づいたこと
一度、体調を崩して休職したときも、
「あいつ休んだな」と思われることが怖かった。
復職してすぐに、以前と同じように動けたわけではありません。
正直、ぎこちなさもありました。
最初は、以前よりも小さな業務から任せてもらい、
できることを一つずつ確認しながら進めていきました。
それでも、小さな仕事を積み重ねていくうちに、
いつの間にかまた「戦力」として扱ってもらえるようになっていました。
居場所は、思っていたよりも静かに戻ってきました。
もしかしたら、今はもう違うのかもしれない
もしかしたら、
思っているほど人は、他人の出来不出来を覚えていないのかもしれません。
それでも、居場所を守ろうと緊張してしまうのは、
きっとこれまでの自分なりの戦い方だったのだと思います。
すぐに緩めなくてもいい。
ただ、「今の環境はあの頃とは違うかもしれない」と
思えたら、それだけで少しだけ肩の力が抜けることがあることに気づきました。


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